近年、「8050」問題が社会問題化していますが、50年前に始まっているとの認識は
少ないようです。母乳育児を否定し、将来の自立のために抱き癖をつけないとの子育て論に
従い、その後、「育て直し」を受けなかった人が、現在も引きこもりになっているのです。
50年程前に子どもを産んでも、親が子育ての流行に対して、どの様に対処したかが今に
現れています。我が子がひきこもっていないから、親・祖父母は幸せな老後を送っている
かと言えば、そうとは言えないようです。子どもが結婚して孫ができても、孫の育ち
が気になっています。親・祖父母が子どもに関わっていないので、孫の成長に合わせて
関わることができないのです。
その結果、孫の表情が乏しいとか、親にすら甘えられないとか、わがまま勝手で自分の思い
通りにならないとかんしゃくを起こして頭突きしたり物や人に当たり散らしているなどなど、
年相応に健やかに育っている子どもが少ないのです。園や小中学校では「育ちの格差」が
始まっています。50年程前と比べると、子どもたちの荒れに深刻さが加わっていると
思います。
そもそも人間は赤ちゃんから大人になる道筋として、初めに抱っこやおんぶといったスキン
シップの経験が必要です。その後、感情が動くことによって安全・安心が分かり、「人見
知り・後追い」を通して自分一人で生きているのではないと解って大人に向かって成長・発達
していきます。
今こそ、「子育て」を根本から見直し、今、生きている老若男女を「育て直す」
「育ち直る」ことに取り組む必要があると切に願うものです。
もし、「いじめる側」に関わることができるようなら、同じように、まず、一人ひとりの
成長・発達段階を見当つけて、育て直しに取り組むことです。対等な3人遊びができるように
なったら、いじめられることもいじめることもなくなるでしょう。
このように、成長・発達の視点で考えると、いじめが絡む自殺事件について、次のような
ことが言えそうです。
自殺にいじめが絡んでいるかどうかが問われます。いじめが絡んでいるかも知れないと判明
すると、第3者委員会を立ち上げて報告を求めることが定番となっています。
その内容は、いじめが自殺の原因になっているか、いじめた側は犯罪者といえるか、いじめ
防止の必要であるとの報告が多いようです。
一人ひとりの成長・発達に関心を持って理解しようとすると、そこには第1段階の「生きて
いる実感」が問われているように思います。いじめる側もいじめられる側も、それぞれのその
両親や関係者も「死」と背中合わせの問題であるとの認識が必要です。誰もが「生きているか
死のうとしているか」まで、さかのぼって考えることを提案するものです。
「いじめ防止」には、不健全ないじめ問題を成長・発達の視点で考え、健全ないじめを経験
して3人で遊べるようになることと考えます。この時、「いじめ」は起きなくなると考えます。
「いじめ」問題は、複数の人間関係の中で起きるものです。「いじめ」問題は、
いじめが絡む自殺事件が起きたときに話題となり、「いじめ防止」が叫ばれています。
「いじめは問題である」としかとらえないところに、問題解決に支障が出ている
ことに気がつくべきです。「不健全ないじめ」だけでなく「健全ないじめ」があるからです。
「健全ないじめ」は、子どもが普通の大人になる過程で、二人遊びから3人遊びが
できる過程で起きる現象です。この時のいじめサインは、喧嘩しても仲直りして遊ぶ
ことができる仲好しが増えると、3人で遊べるようになりたいとの訴えであると言えます。
仲好し二人が遊んでいる中に、どのようにして入るかを体験したいのです。仲好しと
遊んでいるところへ仲好しが遊びたいと言ってきたときに、どのようにして入れる動きを
するかを体験するときです。この二つができたら、仲好しがたくさんできても、皆が話し
合って遊ぶことができるので、「いじめ」は起きません。
「不健全ないじめ」は、いじめる側もいじめられる側も、一人ひとりに成長・発達上に
達成していない発達課題を抱えているのです。従って、多くの場合、いじめられている
子どもが訴えたり、気がついたりしますので、いじめられている子どもの発達段階を見当
つけることから始めるのです。
くすぐって笑えるようになる段階から取り組む子どもから、快・不快は分かるが気持ち
よい人か避けたらよい人かを見分けるところから取り組む子ども、大好きな人を見つけて、
その人のお友だちの中に入れてもらうようにする子ども、言葉を使ってやりとりする
すなわち言動の一致が見られるような子どもまで、成長・発達段階を見当つけて、大人は
子どもが育ち直るように関わることです。
川崎市や練馬区での殺人事件を契機に「8050」問題が、世間で話題に上がって
います。この問題は、80歳位の親と50歳位のひきこもりの子どもの親子が抱える
問題を指しています。
この問題を理解しようとしているうちに、ひきこもっている50歳前後の方は
どの様な人生を送ってきた人だろうか。同じ年代に生まれたすべての人がひきこもって
いるわけではなく、社会のリーダーとして活躍している方もいます。仮に、
「不登校やひきこもり」を経験してもその状態から脱して、生活費を稼ぎ、
結婚して子育てしている家族も何組か知っています。
50歳前後の引きこもっている方にはそれなりの事情があると思いますが、
50年前の子育て事情といえば、「スポック博士の育児書」が流行っていました。
問題なのは、母乳育児を否定し抱き癖をつけるなとスキンシップを否定したことです。
それは、スキンシップは経験することであって、学習で分かることではないからです。
また、親の責務は子どもを大人にして自立してもらい、次世代を育成する人材となる
ように子育てすることです。当時、流行に乗ってしまい、それが出来なかったのですから、
親は我が子に今からでも「謝り、ハグする」ことです。そして、今からでも我が子に出来る
ことを行うことです。子どもには今更過ぎたことであっても親が謝ると胸のつかえが
取れます。子どもとしては親だけを当てにしないで自立する過程を歩もうとします。
以上、不登校やひきこもりから立ち直っている人の相談・援助経緯から言えることです。
【ご意見・ご感想などメールにてお寄せ下さい。場合によりご相談の上、掲載させて頂きます。】
子ども時代に親から虐待を受けていても、親以外の誰か、例えば親戚の人、保育者や
教育者等から可愛がってもらったら、その経験をきっかっけに繰り返す必要が
なくなってくるものです。
また、「虐待」経験のまま親になっても、虐待されてきたことを意識し、繰り返さない
思いを持つことです。自分が子ども時代にしてもらわなくても、子どもが成長・発達する
段階に合わせた関わり方を学習して、子どもに関わってみることでしょう。誰かに助言、
指導を受けながら子育てにあたるように努めることです。子どもが小さければ小さいほど
見よう見まねで子どもに関わっても、子どもはそれに反応してくれるものです。子どもの
変化・成長に支えられて、繰り返し関わることで、「虐待」を繰り返さなくなるのです。
「虐待」を早期に発見して対応する必要がありますが、その時、重要なことは、虐待する
親を決して犯罪者扱いしないことです。可愛がられた経験がない方が虐待されたことを
繰り返している、あるいは可愛がる関わり方が極端に分からない方と、理解に努める
ことでしょう。
「虐待」は、子どもとの関わりの中で起きることです。「虐待」を論ずるとき、
自分自身が「親」あるいは「子」として考えることを提案します。
親は、子どもが普通の大人に成長することを期待して関わっているものです。親が、
子どもが健やかに成長するような関わり方を行ったなら「虐待」になりません。親だから、
親になったら、誰でもが、子どもが健やかな成長を促す関わり方が自然にできる
わけではありません。
可愛がられた親は、我が子に「虐待」できるでしょうか。可愛がられた親は、
自分が子ども時代に可愛がられているので子どもを可愛がることができても、子どもを
「虐待」することはできないものです。
子どもを「虐待」できる親は、どの様な生育歴を持った方でしょうか。虐待された
経験があるので、子どもを「虐待」できるのではないでしょうか。また、「虐待」された
経験者が、全て子どもを虐待するわけではありません。
「虐待」されても虐待しないためには、子ども時代に「虐待」されたから、親になったら
「虐待」しないと誓うだけでは、子育てにあたって「虐待」してしまうものです。
ではどうすればそれを乗り越えられるのでしょうか?
「発達障害」とは、生まれつきの脳機能障害による自閉症やADHD(注意欠陥多動
障害)、アスペルガー症候群などの診断がでている子どもで、治ることはないとの
理解が一般常識となっています。この理解に疑問を持っています。
「発達障害」が一般的に使用されるようになったのは、平成17年に
「発達障害者障害者支援法」が施行された前後からでしょう。それまでは、
「発達障害」という言葉を耳にすることはありませんでした。
50年近く療育活動、相談活動、事例援助活動に従事してきましたが、その中には
「発達障害」との診断が出ている事例、今から思うと「発達障害」との診断がでる
だろうと推察される子どもも含まれています。
不思議に思えることは、「発達障害」の診断が出ているかどうかにかかわらず、
「育て直し」に取り組んで、3ヶ月とか半年が経つうちに「発達障害」の特徴変化・成長が
ほとんどの場合に出てきます。「発達障害」状態にある人は、くすぐっても
笑えないし、スキンシップを受け入れることができません。ですから、くすぐって抱
きしめる関わり方をすることで、微笑むことができるようになります。変化がない事例に
出会ったことがありません。
むしろ、育て直しに取り組むことで、診断名が取れた事例もあるますし、
「発達障害児」は「発達障害」の特徴が見られなくなり、すこやかな姿に「育ち直る」
過程を歩んでいます。
こうした経験から「発達障害」の診断が出ても、“今”から「育て直し」に取り組む
ことを勧めます。
5月で、「角田春高オフィシャルサイト」を開設して5周年を迎えました。
当時と比較すると、年ごとに「育て直し」への関心は格段に出てきています。
「育て直し」を提唱する一人として、これは大変に喜ばしいことです。
中でも「グッドママ」の協力を得て「角田メソッド」の普及に取り組むことに
なったことは特筆すべき事です。
「角田メソッド」の特徴は、私が相談経験を元に創造した
「二段階人格形成論」を中核に、相談・援助経験をもとにそこで経験したことを
「経験知」としてまとめたところにあります。
この「経験知」は、諺「三つ子の魂百まで」の「三つ子の魂」を具体的に表しています。
子育てにあたっては、「三つ子の魂=第5課題までの乳幼児体験」を培うことに
関心を寄せて臨むことを提唱しています。もし、乳幼児経験が不十分であることに
気がついたら、何歳からでも経験することで人としての基礎を培うことになり、
人生のやり直しが出来ると提唱しています。
「角田メソッド」が日本だけでなく、子育てに悩む欧米諸国にも広がることを
夢見ています。
この数ヶ月の育て直し・育ち直り実践活動を通して、新しい動きが見られる
ように思います。
保育者向けの研修会での感想文、研修報告書では、具体的やりとりを知りたい
という空気を感じます。事例検討会に参加する保育者には、「気になる子」
「発達障害児」への関わり方をインターネットで調べても参考になるものが見当たり
ません。発達の視点を持つことと具体的なやりとりが知れて、この研修会に参加して
良かったとの感想に次々と出合うようになりました。
保護者の中にも、インターネットで子どもへの関わり方を調べても参考になるものが
見つかりませんでした。やっと、この講座なら教えてもらえるかも知れないと、遠方から
参加してきた保護者と相次いで出会いました。
また、定員を遙かに超えるほどの参加希望があり、諸事情で断ることが辛かったと、
育児講座企画者から耳にしました。こうしたことは近年にない出来事で、驚いている
とのことです。
このように、発達の視点(発達の順序)を踏まえて、具体的なやりとりを知りたい
という保護者や保育者、養育者が増えていくことを期待しています。
私は、昨年末のNHK 紅白歌合戦でこの唄の題名を聞いてもピンとくるものが
ありませんでした。しかし、あの美輪明宏さんの、あの出で立ちでの熱唱に驚き、
聴き入り、そして感動してしまいました。
唄を聴きながら、「お母ちゃんのためならエンヤコラ」「子どものためなら、
エンヤコラ」といったフレーズには聞き覚えがありましたが、その後、ヨイトマケの
唄が話題になっていることに興味がわき、この歌のことを調べてみることにしました。
発売当時も大ヒットしたそうですが、最近、他の歌手がカバーしたことで徐々に
話題になり、紅白歌合戦で再び話題に火が付いたようです。
私はこの唄が再び話題になっている背景に、歌詞に表れる母子関係があると感じます。
歌詞に登場する母子について発達の視点で母子関係を注目してみると(細かな解説は
さておき)、この母子は乳児期に第3課題の「人見知り・後追い」をクリアしている
ということがわかります。 発売当時は、経済的に貧しい中で、食うために必死に働き
ながら子育てをしたあるいはそうした親たちに育てられた時代です。似たような体験が
ある私と同世代以上の人たちにとっては、懐かしく感動するものであったでしょう。
しかし、現代の子育て世代に話題になるのは、少し意味合いが違うように思うのです。
40~50年前を分岐点として、それ以降の子育てを発達の視点で見ると「人見知り・
後追い」体験をしていない母子が多数派を占めていると感じています。ですから、現代の
ヒットには、この歌詞のような母子関係に憧れを抱き、関心を持っている方がいるので
はないでしょうか。
なるほど。
そう理解すると、私が「エンヤコラ」には聴き覚えがあっても、懐かしさを感じ
なかったことがうなづけます。私自身、幼児期の「人見知り・後追い」体験に
乏しかったため、母子のつながりには向き合えなかったのだろうと。
一つの謎が解けたような気がします。
いじめが絡む自殺事件が起きると、テレビや週刊誌などで、連日、報道が繰り広げ
られます。人が死んだわけですから、当然といえば、当然の事です。
ほとんどの報道は、いじめられた方が被害者で、いじめた方が加害者という構図で、
どのような経過で少年が自殺に至ったか、そして、学校はなぜ自殺を防ぐことが
できなかったかを追求するパターンになっています。
「育て直し」を提唱している私が気になることに、次のようなことがあります。
一つは、今のところでは「いじめ罪」というものはないのに、加害者・被害者で考えている
ところです。自殺事件のようになると、確かに傷害、傷害致死、恐喝、暴行で立件される
こともあります。こうした「いじめ」もありますが、「いじめ」の大半は、刑法では取り扱う
ことが困難なものです。この区別をして報道・論議する必要があると思うのですが、
混在された状態での報道・議論になっていると思います。
二つには、少年のいじめ報道で、いじめる側もいじめられる側も、発達途上にあるにも
かかわらず、「発達」が取り上げられないことです。いじめの定義、いじめ現象の構造分析、
いじめ現象の形成分析、などなどのいじめ現象を取り上げています。
三つには、いじめ現象は、健全に発達している子どもたちの間でも起きていることを
知らせたいです。人は大人になるまでに、年中頃と中学1年頃の2回あると私は考えます。
まず、初めに、年中頃に、喧嘩しても仲直りして遊べる「仲良し」が増えたとき、3人で
遊ぶために「仲間、外し」「いじめ」が起きます。多くの場合、身近な大人たちの指導・援助
等を受けて3人で対等に遊べるようになります。そして、同じ事が小学6年から中学1年頃に
起きます。この頃までに乳幼児体験として1回目のいじめ現象とその克服を経験していると、
2回目のいじめ現象では深刻な問題に発展することはないようです。
私の取り組んだささやかな経験では、いじめる側もいじめられる側も、経過的に見ると
入れ替わることがあります。また、いじめ現象が深刻な問題に発展する場合、私の発達論に
照らしてみるといずれの立場の子どもも発達未熟であって、そのグループの中に発達論的に
見て年相応に育っている子どもがいない場合のように思います。
私の相談経験の上では、いじめられている子どもに出会うことが多いのですが、まず、
初めに行うことはその子の発達段階を見定め、その自覚を促します。そして、その子の発達を
促すかかわり方をすると、次第に変化・成長が見られるようになります。一人の子(いじめ
られている立場)が育ち直っていくと、関係する子ども一人ひとりの育ち(発達段階)が
見直され、その波紋が広がるように育ち直る連鎖が起きて、問題解決に至るのです。
このように「いじめ」は、発達の過程では多かれ少なかれ起こるため、全ての「いじめ」を
なくすことはできないと思います。しかし、兎にも角にも死んでしまっては取り返しが付かないので、「いじめの絡む自殺」はなんとしても防止したいと思います。そのためにも、
いじめ問題を論ずるとき、子どもたちの発達という視点を取り入れてみてはどうでしょうか。
二段階人格形成論の骨格ができてから、岐阜県徳山村で行われる成人式に関心を持って
ニュースを見てきました。私の考えでは、子どもは7つの発達課題を情緒的に体験して、
9歳頃からその自己を客観視する作業をして、中学を卒業する頃には二回目の
「3人で遊ぶ事ができる」時期になり、成人と見なしても良い時期になるからです。
今まで何度も岐阜県下で講演の機会があったのですが、ついに、満15歳で成人式を
経験した方に会いました。
その方は、保育者(Aさん)で、ある講演会の裏方をしてみえました。子どもの成長に
とって、譲ったり、譲ってもらったりができるまでの大切さを具体的にお話したのですが、
私の話を聞いてびっくりしたそうです。Aさんは伝統行事に参加したくらいの思い出で
あったから、理論的なお話を聞いたのは初めてだそうです。
また、私の考え方では、9歳頃までの乳幼児体験が人としての基礎となります。
私の子育て講演を聴いたある保護者から、一つ、二つの「つ」の付くうちの子育てが大切との
言い伝えがあると聞きました。これについても母親から耳にしているとのことでした。
岐阜県徳山村では、現在も満15歳すなわち中学3年生の時に成人式を挙行していますが、
是非この伝統を守り続けてほしいですね。これは世界に誇るこことのできる伝統行事であり、
子育ての言い伝えであると思います。
民法では、男性18歳以上、女子16以上で、父母の同意のもと男女とも結婚でき、
成年者として扱われます。ここに伝統が活かされているのでしょうか。
人生につまづきながらやり直すことができた人と健全に人生を歩んできた人とに共通する
発達課題を中心に構築した「二段階人格形成論」をまとめて、25年が経とうとしています。
私はこの発達論を基にして「育て直し・育ち直り」の相談経験を重ねてきました。
立ち直っていく人へのサポート経験から学ぶこともたくさんあり、また、その経験談を
各方面の方々が役立ててくださることもありました。
こうした発想・経験から”発達”という視点で人(乳幼児、親子、人間)を理解すると、
人は何歳になっても人生をやり直すことができる、と実感しているこの頃です。
これからも“変わらないもの”を大切に、相談活動を続けていきたいと思いますが、
社会環境の変化とともに起きる保育の変化も学び、吸収し、発展させたいとも思っています。
またこれからは、「育て直し・育ち直り」の講義や講演といった方法で普及に努めるだけで
はなく、学んできたことを活かしてもらうようにインターネットを通して情報発信することに
チャレンジしていきます。
私の相談経験から得た知見を紹介していきますので、皆さんの感想、疑問、ご意見などを
いただきながら、一緒に考えていこうと思います。 よろしくお願いします。